向山古墳群と古(いにしえ)の食卓

向山古墳群と古(いにしえ)の食卓

2018年12月04日(火)6:00 AM
 先日、初めて向山古墳群公園に行って来ました。おきらく極楽から車で10数分。標高70メートルほどの小高い所に16基の古墳が並んでいます。古墳時代に作られた豪族の墓だそうです。
 大変見晴らしの良いところで、遠くに富士山や沼津アルプスが見えるし、三島や沼津の街並みが眼下に広がります。今のような街がなかったその昔はどんな景色だったのかとても気になります。
 民家から立ち上る煙をご覧になった天皇がお詠みになった歌がありますが、古墳を作るほどの勢力を持っていた三島の豪族も同じようなことを思ったでしょうか?
 
 古墳時代は縄文時代、弥生時代に続く時代で、そろそろクニができ始めた頃です。その頃はどんな暮らしだったんでしょう?
 住居は6メートル四方の竪穴式だったようです。カマドも見つかっているので、今なら6畳間が2部屋と8畳間のDKと言ったところでしょうか。何人暮らしだったんでしょうか?大家族で住むには少々手狭な気がします。衛生観念や医療が発達していない時代に人が集まって暮らしていたのですから、時には伝染病が流行ったのかもしれません。免疫力が十分に発達していない子供の数は意外と少なかったのかもしれません。
 

木の実食べる?

 その頃食卓があったとしたら、そこにはどんなものがのっていたのでしょうか?
 稲作は既に弥生時代に始まっていますし、そもそもクニができ始めたという事は、少なくともそれだけの人口を養うことができるだけの米は生産されていたのでしょう。
 現代のような精米機はなかったでしょうから、きっと玄米を主食にしていたんだと思います。おかずは何だったのでしょう。縄文時代には既に日本各地間での物流があったようですが、今のように発達した交通機関もなければ、冷蔵・冷凍技術もない時代だったので、地産地消していたと思います。もしかすると乾物類は既にあって、流通していたかもしれません。
 空も大地もとても綺麗で、太陽の力も土の力もずっと強かったと思います。そんな環境で採れた旬の食材はさぞかし美味しかったことでしょう。
 
 スマホもテレビもランプもない時代。夕方早いうちに食事を済ませて、早寝早起きをしていたに違いありません。
 朝食はどうしていたのでしょう?冷蔵庫も電子レンジもない時代なので、前日の残りものをチンというわけにはいきません。パンやシリアルもないので、ご飯を作る所からスタートです。毎日しっかり体を動かし、夕食は早めなので、起きてすぐはお腹ペコペコでしょう。朝食を食べないと一日が始まらないなんて言ってられなかったと思います。場合に依っては魚釣りなど、食材集めから始めたかもしれません。仮に魚釣りに沼津まで行くとすると、片道10Kmなので速足で歩いても往復で4時間程掛かることになります。朝食にお魚を食べるというのは、凄い贅沢な事です。
 というようなことを考えると、むしろ朝食は食べないで仕事を始めるのが普通のリズムだったと思います。農耕生活が始まる前は、狩りのようなもっと激しく体力を使うところから1日がスタートしていたかもしれません。そのためのエネルギーは体脂肪から得られるようにヒトの体はできています。
 
 素朴な生活を理想とするおきらくは、そんな現代とは全く違う生活には凄く憧れてしまいます。食べるためには先ず体を動かす。食材は地元で採れた旬のもの。そして暗くなったら寝る。養生なんて言葉はなかったでしょうが、生活そのものがきっと養生につながっていたに違いないと思います。
 
 朝から運動したいとは思うけれど、脚、腰、膝が心配という方は、お近くのはりきゅう(鍼灸)院におきらくにお問い合わせください。色々とお手伝いできると思います。

 

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この記事を書いた人

Koji Wakio(おきらく)
おきらく極楽にて鍼灸治療中。丙申年。
武術の稽古と豚カツが大好きです。
Satomi Nakano(極楽)
おきらく極楽にて鍼灸治療中。乙巳年。
神社と美味しいものが大好きです。
 

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