GY人間『剣と禅』に再会す

GY人間『剣と禅』に再会す

2014年08月26日(火)7:35 AM

 季節は処暑(しょしょ)。暑さが和らぐという意味だそうですが、確かに夕方からはどうかすると寒く感じることもあります。昼間はまだ夏ですが、夜は既に秋です。そして秋と言えば夜長、夜長と言えば読書・・・

 

 バリッバリの少林寺ャー*1 だったおきらくの学生時代、何故か禅に興味を持って(多分生死を達観したいなどと気紛れに思ってみたのではないかと思います)、鈴木大拙の『日本的霊性』や大森曹玄の『剣と禅』を読んだ事があります。『日本的霊性』はおきらくには難し過ぎて全然分からなかったし、どんな事が書いてあったか全く覚えていないのですが、『剣と禅』に関しては、こと武術に関する本だったので何カ所かは記憶に残っていました。
 極楽先生との最近の会話の中で『鼠取り名人の猫』の話が出たので、『剣と禅』の第8章を読み返すことにしました。

 

 第8章『猫の妙術』。
 勝軒という剣術家の家に大きな鼠が出て、それを捕まえるために近所の強そうな猫達を集めたが全く相手にならず、『無類逸物の猫』と噂の『古猫』を借りて来たらモッサリとした外見とは裏腹にいとも簡単に捕まえてしまった。その夜、借りて来た猫達が『古猫』にその奥義を尋ねるという話です。

 

 一番手の早業軽業が得意な『鋭き黒猫』に対しては、形式上の技だけを真似るだけで、道や理に基づかなければ偽りの技巧になってしまうと諭します。
 二番手の気を練ることを重視した『虎毛の大猫』に対しては、気の勢いに乗るだけでは、自分より気勢の強い相手や捨て身になった鼠相手だと手に負えないと諭します。
 三番手は『灰毛の猫』で、心を練り、いたずらに気色ばらず、物と争わず、つねに心の和を保っていわばのれんでつぶてを受ける戦法を取って来たが、やはり鼠に叶わない。これに対しても、分別心で和そうとしても相手は敏感にそれを察知する。思慮分別を絶って無心無為の工夫が必要だと諭します。
 だからと言って『古猫』はそれらを否定しているわけではなく、上には上がいる、かつて自分が会った『木で作った猫のような猫』の話を続けます・・・
興味をお持ちの方はネットで検索すれば見つかるので一度ご覧下さい。

 

GenkiDashina おきらくは昔、GY(めない脳味噌筋肉)人間だったので、即HowToが書かれていない本は苦手だったのです。だからこの本を読んでもフンフンと素通りした部分が大半で、いくつかの武芸者のエピソードだけしか記憶に残っていない状態でした。
 今この話を読み直してみると、病(鼠)に対する治療家(猫)の心得として参考になりそうな気がします。そして治療家という道は、果てしなく先が続いているなぁとあらためて思います。

 

KuronekoDakedoNanika 芸事(武術を含む)の世界と同じく医術の世界も一生が学びと修練ですが、誰でも第一ステップの『鋭き黒猫』から順々に成長し、そしてゆくゆくは師匠を越えて更に精進し、次世代にバトンを渡すのでしょう。まあ、木猫になれたら本望ですが(笑)
 おきらくお勧めの軟酥(なんそ)の法*2を知ったのも禅に興味を持ってこそのこと。もう一度を『剣と禅』を読み直してみようと思います。

 

*1 少林寺ャー

 少林寺拳士のことをショウリンジャーと呼ぶことがあります。
 日本で少林寺拳法を名乗るのは不動禅少林寺流拳法と金剛禅少林寺拳法の二つで、おきらくが修行したのは金剛禅の方です。
金剛禅と言いながらも大学生の部活としての少林寺拳法では殆ど禅には触れませんでした。
 そういうこともあって禅に興味があったのかもしれません。

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*2 軟酥(なんそ)の法

『駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠』で知られる臨済宗中興の祖・白隠禅師の考えた養生法です。
 卵くらいの大きさの軟酥(清き色の香り高き柔らかバター)を丸めて頭に乗せたところをイメージします。体温で溶けた軟酥が、芳しい香りと伴に頭から両肩、両手、胸、内臓まで潤しているところを想像します。軟酥は更に両足を温め、足の裏まで到達します。
この方法を根気よく行えば健康になると、白隠禅師は言っています。
 自律訓練法に並ぶ、おきらくお勧めの養生法です。

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この記事を書いた人

Koji Wakio(おきらく)
おきらく極楽にて鍼灸治療中。申年。
武術の稽古と豚カツが大好きです。
Satomi Nakano(極楽)
おきらく極楽にて鍼灸治療中。巳年。
神社と美味しいものが大好きです。
 

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