がんって怖い?

がんって怖い?

2016年10月11日(火)6:24 AM
黙祷

黙祷

 10月8日(土)15時30分、先日肺がんで他界した父親の遺骨と6年前に胃がんで他界した母親の遺骨を母なる海に散骨して来ました。お袋が他界した時の親爺の希望は、「わしが死んだら二人の骨を一緒に海に撒いて欲しい」というものでした。
 親爺は最後の10日間、何も飲み食いできませんでしたが、返って浮腫みが綺麗に取れ、若い頃のスリムな体を取り戻し、エンゼルメイクのお蔭もあって若い頃の甘いマスクになりました。
 火葬の時、親爺が好きだったセピア色の写真(モガとモボ)を入れておいたので、今頃はこんな感じで向こう岸に立っていることでしょう。
 
 「がん」というと、一般的に怖いというイメージがあると思います。
でも、おきらくの親爺は米寿を過ぎて、そろそろ寿命かという頃に「がん」が見つかったので、「十分長生きしたよね。」くらいの感覚でした。親爺がどう感じたかは聞きませんでしたが、「辛い治療はしたくない。苦しい症状だけ何とかして欲しい。」とはっきりと意思表示をしたので、来るものが来たと受け止めたのだと思いました。
 親爺の最後の半年を見て来たおきらくは、少なくとも親爺の「がん」は全然怖くなかったです。心の準備と色々な整理の時間があったことを考えると、最後まで親爺らしかったと思います。
 
 そもそも親爺が不調を言い出したのは昨年の10月頃からで、症状としては咳がなかなか良くならないというだけでした。
 ランチの約束をした日の朝、しんどいから今日は行けないと電話があったのが4月中旬。親爺は顔・手足が酷く浮腫み、最高血圧が200mmHgを超え、激しい動悸がするとのことで、即座に病院に連れて行きました。最初の病院で静岡医療センターに行くよう促されたのは幸いでした。そこで肺がんの可能性を指摘され、静岡がんセンターにつながりました。
 静岡がんセンターのドクターによると、かなり進行した肺がんで治療しなければ今年一杯もつかどうか。けれど年齢的に「がん」の三大治療はきついでしょうとのこと。でも、先の静岡医療センターで肺がんの可能性を示唆された日以来、治療については、親爺の心はハッキリ「No thank you」と決まってました。
 4月中旬~6月中旬は通院、6月下旬に一般病棟に入院、8月から緩和病棟に移りました。そしてそれぞれの節目で動ける範囲が階段状に落ちていきました。
 こうして経過を辿ってみると、確かに咳、息苦しさ、動悸などの訴えはありましたが、それ以外に重い症状は出ないまま、半年で最後の命を燃やし切って天寿を全うしたように思えます。
 
 日常生活動作が自立していない期間(介護を必要とする期間)は男性で約1年半、女性で約3年。それに比べれば、入院期間が僅か3ヵ月程度だった親爺は、どちらかというとピンピンコロリな生涯を送ってくれたと思います。
 睡眠に関しては、高齢者の例に漏れず不眠気味ではありましたが、養生の基本である、休息(睡眠)・栄養・運動のうち二つまでは継続していました。
 親爺は足腰が痛くなると、若い頃やっていた柔道の摺り足をしたり、ルームランナーの上を歩いたりと、とにかく自分で動ける期間をできる限り伸ばそうとしていました。
 栄養面もしっかりしていました。さすがに入院する頃には、入れ歯をしなくても食べられるものばかりでしたが、それ以前は自分で料理していました。卵を毎日数個、高圧鍋でトロトロに煮込んだ牛肉、自作の秘伝のタレで焼き鳥など、高齢者に不足しがちなタンパク質もしっかり食べていました。自歯を20本残せていたら、もっと長生きしていたかもしれません。
 もしかしたら、肺がんが死期を少し早めたかもしれませんが、養生をしていたからこそ、苦しい期間がこれほど短くて済んだともいえると思います。
 
 養生したいんだけれど具体的にどうすれば?という方は、お近くのはりきゅう(鍼灸)院におきらくにお問い合わせください。
 そして、最後を迎えるその日まで健康でいてください。

 

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この記事を書いた人

Koji Wakio(おきらく)
おきらく極楽にて鍼灸治療中。丙申年。
武術の稽古と豚カツが大好きです。
Satomi Nakano(極楽)
おきらく極楽にて鍼灸治療中。乙巳年。
神社と美味しいものが大好きです。
 

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